歴史文化学コース History

安部 聡一郎 (ABE Soichiro) 准教授

[研究領域] 三国時代と歴史学
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中国の歴史は“自分たちの歴史”ではありません。もちろん“自分たち”をどう位置付けるかにもよるのですが、少なくとも日本史—世界史というおなじみの区分から見れば、中国の歴史は世界史の一部、つまりは外国史ということになります。

今これを読むみなさんの中にも、中国史に関心のある人が少なからずいると思います。なぜみなさんは外国史に興味をもったのでしょうか。だいたいは何かきっかけがあるものです。例えば小説だったり漫画だったりゲームだったり、あるいは高校の世界史の先生の影響だったり、中には『三国志』(『三国志演義』)を読んで、という人もいるでしょう。実は私もそうでした。

私は三国時代を中心に研究をしています。正確には、「三国〜南北朝時代に編纂された後漢時代関係の史料を相互比較・分析することを通して」「その時代の人々の考えた後漢時代像を明らかにし」「それをもとに後漢時代の実情を解明し」「同時に三国〜南北朝期の社会状況を考える」ことを目標としているのですが、分かりやすく言えば上記のようになるでしょう。

三国時代といえば戦乱の印象が強いかも知れませんが、歴史学そのものにとっても実は重要な時代でした。中国では古代から歴史記録への強い関心がみられましたが、特にそれが顕著になり、歴史を専門に扱う新たな学問として「史学」が出現してきたのがこの頃だったのです。

『三国志演義』の終わりの方に登場し、蜀が滅ぶとき後主(劉禅)に降伏を勧めた譙周という人がいます。彼は優れた学者として多くの著作を残しましたが、その中に『古史考』という史学隆盛のさきがけとなった歴史書があります。譙周が生きたのは長く続いた漢王朝が滅びる少し前から三国・西晋にかけての激動の時代、すなわち従来の社会のあり方や価値観が崩れ始め、新たな立て直しが真剣に求められていた時代でした。彼やその同時代の人々が歴史に深い関心を寄せたのはこの危機的状況と無関係ではありません。むしろ危機を乗り越えるためのひとつの模索だったと考えるべきでしょう。そもそも「史」という言葉をはっきり「歴史」の意味で用いるようになったのもこの頃であり、譙周の書名はその早期の事例なのです。

こうした当時の人々の歴史への取り組みに目を向け、そこに分け入っていくことで時代の様相を明らかにしていきたい、というのが先に挙げた私の目標の中心にあります。具体的には政治と社会、中でも貴族と呼ばれる人々について追究するのが私のテーマです。

ところで、過去の人々の歴史への取り組みに目を向けるというのは、逆に自分がなぜ歴史に取り組もうとしているのかを問うことにも繋がります。主履修分野を選ぶときみなさんもきっとこれが問われることになると思います。その時のために、講義の中で自分の向き合いたいものを確かめていってください。きっかけは何であっても、そのことが大切と思います。

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