言語文化学コース Linguistics and Literature

岩津 航 (IWATSU Ko) 准教授

[研究領域] 20世紀フランス文学、比較文学
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大学に入学したときは日本文学科でした。高校生の頃に熱中した宮沢賢治の研究でもしよう、と思っていましたが、いろいろあって、2年後にフランス文学に専攻を変えました。日本文学が嫌いになったわけではありませんが、フランス語の習得を通じて、それまで知らなかった文学の世界が見えるようになりました。

大学院生の頃は、20世紀を代表する大作であるプルーストの 『失われた時を求めて』 を中心に、時間を表現するための語りの技法を研究しました。その後、プルーストに影響を受けた福永武彦という小説家に関する博士論文を、留学先のパリ第4大学に提出しました。『古事記』の現代語訳者であり、東西のさまざまな神話を小説の重要なモチーフに用いた福永武彦に導かれて、現在は神話と文学の関係に最も強い関心を寄せています。とくに、ともに『ユリシーズ』という詩集を1930年代に出したバンジャマン・フォンダーヌ、イラリエ・ヴォロンカという二人のルーマニア出身のフランス語詩人について、数年来研究を進めています。

神話と文学に共通しているのは、なぜ人は同じような物語やイメージを何度も語るのか、ということです。それは人の一生がどれも基本的に似ているからです。人は誰でもいつか死にますが、いつ死ぬかは分かりませんし、なぜ死ぬのかも分かりません。私たちにとって神話が必要なのは、現実逃避のためではなく、むしろ現実に意味を与え、現実を「読める」ようにしたいからです。文学作品も、よく思われがちなことですが、作家個人の思いを語っているのではありません。物語や比喩を通じて、人生の構造を言葉で掬い取ろうという知的努力の産物なのです。

人生には、歴史、政治、言語など、さまざまな要因が絡んできます。最初のフランス留学(南仏のトゥールーズ)の際に偶然読んだ韓国系カナダ人作家ウーク・チャングの小説『キムチ』を、その後翻訳出版したことから、いわゆるエスニック・マイノリティや亡命文学にも関心があります。この関連では、前述のフォンダーヌとヴォロンカ以外に、ロシア生まれポーランド育ちのフランス語作家ロマン・ガリの作品を、もっと深く読み込んでいきたいと考えています。

私の研究は、結局のところ、「なぜ文学が必要なのか」という究極の問いの周りをうろうろすることではないか、と感じています。私が好きだというだけでは、「あらゆる人にとって文学は存在していなければならない」ことの意義は明らかになりません。作品を構成するさまざまな要素(神話や作家の出自もその一つでしょう)に注目すると、教科書的な「作者の意図」を超えた、多様な意味の場としての文学テクストのあり方が見えてきます。文学の社会的意義も、その辺にあるような気がしています。そして、その事情をなるべく説得力のある論理で解き明かしたいと願って、勉強を続けています。

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