言語文化学コース Linguistics and Literature

高田 茂樹 (TAKADA Shigeki) 教授

[研究領域] シェイクスピアなど、イギリス・ ルネサンスの文化
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私はシェイクスピアと彼の同時代の演劇を中心とするイギリス・ルネサンスの文化を研究しているが、そのシェイクスピアの 『あらし』 という作品の中に、次のような一節がある。

宴はもう終わったよ。われわれの見たこれらの役者たちは、先刻言ったとおり、すべて妖精であり、空気の中へ、希薄な空気の中へとかき消えてしまった。そして、土台のないこの幻影の枠組みと同様に、雲を戴く高塔も豪奢な宮殿も壮麗な寺院も、いやこの大きな地球そのものと、さらにはそこに住まう一切のものですら、いずれは溶け去って、今し方消え去った実体のない見せ物と同じように、後には足場一つ残すことはないだろう。われわれは夢と同じ成分からできていて、われわれのはかない生は眠りに包まれているのだ。
(4幕1場146−58行)

これは、プロスペロウという魔術師が、自分が演出した仮面劇を人に見せた後に語る言葉である。世界とは単なる虚構で、人間はその虚構の舞台の上で役を演じている役者にすぎないという発想を的確に言い表した例としてよく知られた台詞だが、シェイクスピアの作品の中には、ほかにも、人生を芝居に喩え、世界を劇場に見立てる発想や表現が数多く見られる。

しかも、それは、決してシェイクスピアだけに限られるものではなく、むしろ、ルネサンス期にきわめて特徴的な発想の一つだった。この時代には、人が自分のありようのはかなさやその周囲の世界の虚構性をしばしば強く意識させられる状況があったのである。

当時、イギリスでは、中世の封建体制が崩れてきて、経済な実力を蓄えた中産階級が台頭しつつあり、それまでよりはるかに流動的な社会的状況が生まれてきていた。そういった状況は才能と野心にあふれる個人に自分の能力を存分に発揮する機会を提供する一方で、人は、自分の生まれ育った環境とは異なる新しい場で、その状況に添うよう自分の振舞いを演出してゆかなければならなくなる。そういう環境に不断に晒される中で、人は、特に、自分が虚構の役割を演じているにすぎないのではないかという意識につきまとわれることになるわけである。しかも、そういう流動する社会では、一気に権力の座に上り詰める寵児が生まれる反面、瞬く間にそこから転げ落ちる人間も出てくる。権力の絶頂にある人間のうちにすら、華やいだ舞台のすぐ下には底知れない奈落が広がっているという思いが拭いがたく巣くうようになってゆく。

「世界は舞台、人は役者」という言葉は、そういった魅力と不安、栄華と悲惨が交錯する状況を凝縮させた表現として出てくるのである。この比喩を単なる言葉の綾にとどめることなく、自身の創作を通して、深く掘り下げていったシェイクスピアやほかの劇作家の作品の研究を通して、いわばそれを鏡として、翻って、我々がこの世界にある不思議の意味を探っていきたい。

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